プロフィール

中央大学経済学部卒業。中央大学音楽研究会リード合奏部(ハーモニカ・ソサイエティ)でクロマティック・ハーモニカと出会い、1997年より崎元讓氏に師事。

2000年世界ハーモニカ連盟日本支部(F.I.H.JAPAN)主催のハーモニカコンテストにおいて、クロマチック・ソロ/クラシック部門およびアンサンブル小編成部門優勝。

演奏活動のほか、カルチャー教室での指導、「クロマティック・ハーモニカの音楽会」定期開催するなど、クロマティック・ハーモニカの魅力と可能性をつたえている。

NHK連続テレビ小説「エール」ハーモニカアンサンブル指導。

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~音楽との出会い~

楽器に触れた一番古い記憶は幼稚園のときのカスタネットか、おもちゃのベルか…。お遊戯会でクラス全員の合奏をしたときは、先生から小太鼓に指名されたけれど、内気で恥ずかしがり屋だった私は、ほかの子に紛れることができて澄んだ高音のトライアングルが良かったなぁ、と本当は思っていました。

「娘を音痴にしてはならない」という母の使命感も手伝ったのか、某楽器メーカー系列のオルガングループレッスンに通うことになったのも幼稚園のときです。リトミックの時間もあり、子ども向けにドレミから教えてくれました。
なのに、私は小さい頃からぼーっとしていたので先生がなにを求めているのか理解できず、いつも周りの子をマネして動いていました。

そして、わからないまま小学生でコース卒業となり、私自身の希望で電子オルガンの個人レッスンに進みました。発表会のとき、年上の子の演奏を聴いて「かっこいい!」と思っていたからです。
上下2段の鍵盤に鍵盤ペダルもついた(エレクトーンという商品名が一般的です)ものを買ってもらい、いろいろな機能で遊びながら初めは楽しく弾いていましたが、そもそもグループレッスンをカンニングでやりすごしていた私が個人レッスンって…先生に叱られるのが辛くなって練習もサボりがちになり、中学受験を理由に辞めてしまいました。

~音楽をしない6年間~

中学校に入学してすぐの頃は、別の私立中学に通う近所の子と駅まで一緒になることがありました。
その子の学校はブラスバンド部が強く、彼女も「ブラスバンド部に入るの♪」と話してくれましたが、私は「ブラスバンドってなに?」という始末(汗)でも基本的に楽器は好きだったし、「私もそれやりたい!」と思ったのです。

ところが、私の学校にはブラスバンドがありませんでした(涙)。そもそも楽器系は宗教活動系(ミッション·スクールでした)の「ハンドベル·クワイヤー」のみ。そこで、母に「フルートを習いたい」といってみました。 

娘の音痴をすでに回避済みの母からは「またすぐに練習しなくなってやめちゃうんでしょ」という返事。前科がある私は言い返すことができず、心の中に「憧れ」としてしまいこんでしまいました。

楽器店のガラスケースに展示され照明を反射してキラキラしているフルートを眺めたりもしましたが、私の中高6年間の音楽ライフは、音楽の授業、礼拝での讃美歌、気が向いたら自宅の電子オルガンを弾く、だけでした。

~ハーモニカとの出会い~

そして大学の入学式。キャンパスには先輩群団が待ち構えていて、とにかくこれでもかと山のように勧誘のビラを渡されました。「サークルに入るなら音楽をやりたいなぁ...」

ですが、大学のブラスバンドもオーケストラも経験者ばかりのようで、近よりがたい感じ。と、そんなところに「ハーモニカ·ソサイエティ」(以下ハモソ)という初心者歓迎の音楽系から勧誘を受けました。

「ハーモニカかぁ…」

私の時代は小学1年生のときに学校でハーモニカを教わったのですが、使っていたのは一段の「教育用ハーモニカ」というもので、ピアノでいうと黒い鍵盤の音がない仕様のものでした。たとえば、「鉄腕アトム」の「お か をこーえて~」もそのハーモニカでは吹けなかったのです。(現在私が教えているクロマティック·ハーモニカでは、全部の音があるのでこんなことにはならないです^^;)そのため、ハーモニカに対して良い印象はありませんでした。

なのに、そのとき一緒にいた、ついさっき大教室で知り合ったばかりの友人が「さっきのハーモニカのところ、見に行ってみようよ」と言いだし、断れず、練習見学に行くことになました。ほぼ期待せずに行ったのに、びっくり!ハーモニカにもいろいろあって、ハーモニカ以外もいろいろな楽器があって、それまで聴いたことがないサウンドで、とても楽しそうでした。そして、ハーモニカなのに半音階が出せるのです。これで自分の人生が変わることになるなんて夢にも思わず、その友人と一緒に入部を決めてしまったのでした

ハモソには憧れていたフルート·パートもありましたが、「私なんかがフルートをやりたがっても無理」という意識がどこかにあり、一応経験のある鍵盤パートの方は叱られた記憶がよみがえって敬遠。勧誘のときに先輩が吹いていたクロマティック·ハーモニカの曲が素敵だったのと、なにかにつけてレアな(マイナーな?)方に目がいってしまう性分から「ハモソに入るならやっぱりハーモニカでしょ!」と、めでたく初めてのクロマチック·ハーモニカを手にすることになりました。そして大学卒業まで、クラスメイトや先輩・同期・後輩に恵まれ、勉強と部活動とで充実した4年間をすごしました。

~師匠との出会い~

大学卒業後は一般企業に就職してデスクワークの毎日でした。残業が多く、休日出勤もあり、休みの日は寝て過ごす、という1年を経て「私の人生はこれでいいのだろうか?」と悩むようになりました。

就職氷河期といわれた時代で、会社を辞めたとしても次の就職先が見つかるかどうか…かといってこのままこの会社にいても転職で有利になるようなキャリアが積めるとも思えないし、独学で勉強しようにも余力がない…。

「とりあえず、生活に彩りを添えるような何かがなければ、こんな毎日耐えられない

「就職してからすっかり運動不足」という同期たちのぼやきと、たまたまテレビでみたベリーダンスに流され、ベリーダンス講座が載っていた車内吊り広告をきっかけに某カルチャーセンターへ行きました。(いま考えると、私の運動不足は就職してから始まったことではなかったのですが^^;)

広告を見て「行こう」と決めてからも毎日残業が続いてしまい、やっと会社帰りに寄り道できたころには、お目当てのベリーダンス講座はすでに開講しているため途中入会になるとのこと。

ダンスは未経験だし運動嫌いのため最初から無理なく受講したかったので、新クール開講までは途中入会でもなんとかなりそうな別の講座で時間を稼ごうと探したら「クロマチック·ハーモニカ」の講座がありました。しかも講師の名前に見覚えが…。学生時代、先輩に連れられて行ったハーモニカコンテストの審査員の崎元讓先生だったのです。

その場で申し込んで、直近のレッスン日から受講することになりました。

~ちがう世界との出会い~

それまで電子オルガンにしてもハモソにしても、音楽ジャンルとしてはポピュラー音楽しかやっていませんでした。クラシック音楽は退屈で眠くなるものだと決めつけてもいました。ところが先生の指導でクラシック曲を練習するようになると、自分の技術のいたらなさや理解の甘さがわかってきて、練習ぎらいだった私が練習をおもしろいと感じるようになってきたのです。

先生に教えてもらうようになって一番衝撃だったのは、「ハーモニカのプロがる」ということでした。ハモソの先輩から「プロになれば?」と言われたときも「プロなんてトゥーツ・シールマンスくらいしかいない」と(無知ですみません)まじめに受けとめていなかったのに、目の前にハーモニカのプロ奏者があらわれたのです。

あるとき「コンテストで優勝したらプロになれるんですか?」と先生に尋ねてみました。音楽の世界に縁遠くコンテストと資格試験や認定試験の区別もついていなかったが故の質問だったのですが、先生は私に「プロになりたい」という意思があると認識されたのだと思います。「コンテストとプロになることは関係ない」とは言いながらも熱心に指導してくださり、3年後のF.I.H.JAPAN(世界ハーモニカ連盟日本支部)ハーモニカコンテストで優勝することができました。

私がコンテストに初挑戦したのは優勝する前年でした。予選審査のための録音では兄・姉弟子と一緒にホールを借り、伴奏も同じピアニストさん。みんなで予選通過し本選に臨んだ心強さもあって、私の中に深刻さがなかったというか、ひとつのイベントに参加するだけのような感覚でいたように思います。そのときの結果はクロマティック・ソロ/クラシック部門第3位。学生時代に観覧したときは、「この楽器でここまでやるのか」「どうすればこんな曲が演奏できるようになるのだろう」と絶望的なほどの実力差を感じたのに、まさか私がそこで入賞するなんて…!! ところが、大喜びしたのは自分だけ。応援に来てくれた周囲の反応は、「あ~、ダメだったか」「来年こそがんばって!」でした。まわりの人たちは1位しか認めていないこと、もっと上位を目指さなければいけないのだということを知りました。

その翌年、適当に返事をした1年前の口約束を守る羽目になってエントリー部門を1つ増やし、絶対1位を獲らなければというプレッシャーを背負いつつ真正面から挑戦して2部門とも勝てたことは、私にとって大きな自信になりましたし、その後の停滞感にさいなまれることになる日々のよすがとなりました。

~出産・育児を経て~

コンテストで優勝した翌年に結婚し、そのまた翌年に妊娠·出産。当時は母親によるワンオペ育児はめずらしいものではなく(私の場合はわが子が可愛いすぎてかたときも離れたくないタイプだったのですが)家事と育児に追われる日々が何年も流れてゆきました。クロマティック·ハーモニカの長所のひとつは、防音設備がない場所でも練習できるところです。やっと寝た子どもを起こさないように、どうしても音量は少し控えてしまいますが、それでもスキマ時間をつかって少しは練習ができました。

そして子どもが大きくなってお留守番も短時間ならできるようになった頃、音楽一家に育ったわけでも音楽の英才教育を受けたわけでもなく、積極的に音楽の道を志したわけでもない普通の主婦になっていた私が、クロマティック·ハーモニカ講師としてのキャリアを大手のカルチャーセンターからスタートさせることになったのです。

「楽譜を読めない」「音楽の授業しかしらない」等の不安をお持ちの方にも、クロマティック・ハーモニカを通してご自身の音楽や世界を表現できるように、音楽を楽しめるように、微力ながらお手伝いができればという気持ちでいつの間にか10年以上講師をつづけてきました。クロマティック・ハーモニカは、比較的に価格が低めで練習場所に困らず、持ち運びも楽で始めやすい楽器です。たくさんの人に、仲間たちと励まし合いながら音楽の道を楽しく歩んで、毎日を彩り豊かにすごしていただきたいと思っています